常若で徒然・・・

最近、あつい!

そして外を歩くのがつらい。。

 

いつも思いますが、そろそろ衣替えをするべきか否か迷います。。

そして、一年が経つのが早すぎる気がいたします。

慣れたと思ったら、また年末、、、

 

こんな人生、そろそろ固めていかないとと思う日々です。。

 

さあ、雑談はさておき、神道には「常若(とこわか)」という言葉があります。

これは若々しく生命力に満ち溢れた状態を尊び、いつまで新しくあろうという意味の言葉だそうです。

 

私なんかは、人生とこわか、、

それでは成長がなくダメですが、自分も人も絶対に逃げられない壁があります。

それは時の流れを止めること。

絶対の真理はあるものはいつかは死ぬことです。

 

ただ若い人って若いんですよね。なにがって「心」が。。

自分の「魂」を常に燃焼して若い人に接している。

常に新しいことにチャレンジしている人には尊敬の念を抱くことが多々あります。

 

神道において「魂」とは何かといえば、人はみな生まれ育つ土地の氏神様(産土神様)と、父母をはじめとする祖先から御魂を分け頂いてこの世に生まれると考えられているようです。

簡単にいうと、地元と先祖ということでしょうか?

 

神道は清く・明く・直く・正しく、変わらずにあることが人の生きるべき道であり、道とは簡単に言うと自己との対話による自己修練と言うことができると思います。

それこそ「かんながらの道」というもの。。

 

これはビジネスでも教育でも一緒のような気がします。

特に、私の後輩のゼミに行くことがあるんですが本当にそれを感じます。

ひとりひとりに対して、真正面から何度も伝えていかないといけません。

 

でも同じ内容でも、その時の雰囲気や感情の状態で言葉を変えたりしていく必要があります。

本当に人を指導すると言うことは難しいです。

 

こういうときに、ライブとかやってる人間はその場の空気感や雰囲気に合わせることがうまいのかもしれません。

そういうときに大事なのが、いい意味でも悪い意味でも「過去の成功体験」に引っ張られないことが必要になってくるんだと思います。

 

鎌倉時代の『伊勢二所皇大神宮御鎮座伝記』には

「人はすなわち天下(あめのした)の神物(みたまもの)なり

 心神(わがたましい)を傷ましむるなかれ」とあります。

 

生きていると様々なことがありますが、自分の目を濁らせることなく、曇らせることなく、澄んだ鏡の様に常に客観的な視点で自分の偏見なく見ることが、明るく生き生きと生きることにつながる。

 

これが「常若を通じた神道」のエッセンスなのかもと思います。

 

「わが心清め清めてよく見れば まことは神も我が心なり」

これは、禅の考え方にも似ているような気がします。

「自灯明」という言葉などは正に、そういうことなのではないでしょうか。

 

心理学でも相手の態度は自分の鏡というようなことも言えるというのが立証されているようです。

 

そういう意味では、偏見だらけの私はもう一度自己を見つめなおして心と人を見る目を「常に若く」していくことが成功のコツなのかもしれません。

 

ビジネスでも、その1年の積み重ねが100年企業を作ることに繋がっている気がします。

それにしても、いい言葉です!