「侘び」で徒然・・・
今回は「侘び」という意味で見てみようと思ってます。
ってかいきなりでかいテーマすぎるだろうと。
確かにテーマが壮大すぎますが、まあいってみようと思います。
いつもお世話になっております。
コトバンクさまより調べてみました。。
《動詞「わ(侘)びる」の連用形から》
1 茶道・俳諧などにおける美的理念の一。簡素の中に見いだされる清澄・閑寂な趣。中世以降に形成された美意識で、特に茶の湯で重視された。→寂(さび)
2 閑寂な生活を楽しむこと。
3 思いわずらうこと。悲嘆にくれること。
「今は我(あ)は―そしにける息の緒(を)に思ひし君をゆるさく思へば」〈万・六四四〉
・・・いろいろ調べましたところ明確な定義はないとのこと。
ただ、なんとなく簡素だったり寂しい感じを侘びというようです。
たしかにいまの時代「モノにあふれた時代」なんだと思います。
すぐに欲しいものが手に入り、すぐに人に連絡出来て、という利便性が大事にされています。
でもだからこそ、一方で「なにもないこと」の大切さが振り子のように大切になってきていると感じています。
そういえば前、役者さんと話したときに「うまい役者はシンプル」と聞いたことがあります。
そして、このご時世、豊かな時間というのも「侘びの時間」にこそあるような気がします。
確かにいまの世の中、つながりすぎてて、マルチタスクが当たり前の世の中。
複雑な世の中だからこそ思考をシンプルにして、行動もシンプルに、また「その瞬間」に集中する時間をとることは一番ぜいたくなのかもしれません。
こういう世の中だからこそ、もう一度「侘び」のことばを見つめなおして味わってみることも大事かもしれませんね。
それこそが、現代にも昔も同じ最高の「時間」なのかもしれません。