幽玄で徒然・・・

さあ、これも難しい言葉です。
「幽玄」聞いたことはあるけど、説明できません。

まず、語源ですが辞書からは

幽玄の語の用例は中国の後漢(ごかん)にさかのぼるが、注目されるのは以後の漢訳仏典の用法で、隋(ずい)の智(ちぎ)ぎはこの語を「微妙難測(みみょうにしてはかりがたし)」(金剛般若経疏(こんごうはんにゃきょうそ))、唐の法蔵は「甚深(じんじん)」(華厳経(けごんぎょう)探玄記)と解説している。いずれも、仏法の深遠でたやすくは理解できない意味であるが、日本でも平安末期までの用法は仏典に限らず、およそこの原義を離れない。

 

とのこと。

 

なるほど、もともと仏教用語で中国から来たことばなんだと認識。
中国からきている文化は非常に多いんですね。

 

むしろ中国と関係性が複雑になる前に、特に文化面では非常に親和性があったということだと思います。
中国と日本で文化交流できるようにできれば①政治(外交) ②経済 ③文化 という交流をしっかりやりたいと(既にやっていますが、自分たちの近くでも)面白いと思います。

 

とずれましたが、意味としては

 

芸術論用語で,美的理念の一つ。本来中国の典籍に見出される語で,原義は老荘思想や仏教の教義などが深遠でうかがい知ることができないことを意味した。

 

[名・形動]《「幽」はかすか、「玄」は奥深い道理の意》
1 物事の趣が奥深くはかりしれないこと。また、そのさま。「幽玄の美」「幽玄な(の)世界」
2 趣きが深く、高尚で優美なこと。また、そのさま。
「詩歌に巧みに、糸竹に妙なるは―の道、君臣これを重くす」〈徒然・一二二〉
3 気品があり、優雅なこと。また、そのさま。
「内裏の御ことは―にてやさやさとのみ思ひならへる人の云なるべし」〈愚管抄・四〉
4 中古の「もののあはれ」を受け継ぐ、中世の文学・芸能の美的理念の一。言葉に表れない、深くほのかな余情の美をいう。
㋐和歌では、言外に感じられる王朝的な上品で優しくもの柔らかな情趣をいう。
連歌では、艶でほのかな、言葉に表されない感覚的な境地をさしていう。後に、ものさびた閑寂な余情をもいうようになった。
能楽では、初め美しく柔和な風情をさしていったが、後、静寂で枯淡な風情をもいうようになった。

㋐ 俊成の歌論では、静寂で奥深く神秘的な感動・情趣。
㋑ 正徹の歌論、世阿弥能楽論では、優雅・妖艶な情趣。
㋒ 為家の歌論、心敬の連歌論、禅竹の能楽論では、枯淡にして心の深い境地。ひえさびた美。

 

とあります。


要は「芸術の美的概念で重要な内容」ということです。

またこの幽玄というものは、時代や言う人や芸術によって定義が少し変わるということです。

 

これ、非常に面白いですよね。

なにを思ったかというと、いまの「美しさ」の概念も人によってや時代によって違うということなんだと思います。

 

これそういや資生堂がやっていたなと思い、早速調べてみました。

hma.shiseidogroup.jp/info/p20161222_5392/


なるほど、これ要は「定義」をみんなで考えていくんですよね。

 

哲学や宗教も同じで「サンデルの正義論」なんだと思います。
つまり時代や人が定義を考えて、それぞれが考えているでしょう。

でも大まかは変わらず、つまり「原義」はあるんでしょう。
その周りをぐるぐる回る、正に「輪廻する」ことなんでしょう。

 

だから、こういう議論をする際には「歴史」と「原義」を知っていないと、とんでもないことになる可能性も秘めているんでしょうね。

 

今日はどちらかというと言葉の内容というより、その定義づけが面白かったです。

*意味に関してはやっぱり「幽玄」については書く人の主張を見ないとなんとも言えないですね。